こんばんは。
今日もひたすら徒然。

【鎌倉・報国寺】

鎌倉で有名な観光名所というと、鶴岡八幡宮、銭洗弁天、建長寺、大仏・・・。

自分の一番のお気に入りは駅から遠いですが足利家由来の報国寺。
昔は駅から遠いこともあって参拝客もまばらでしたが、最近はカメラブームのせいか混み混み。

小さいですが「竹のお寺」で有名になってしまい、知る人ぞ知るポイントではなくなってしまいました。 

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報国寺の奥に行くと、由比ガ浜を正面にした切通しとかも通れます。

昔から、自分は一人でもぼーっとしたい時によく行きますが、好きな人が出来るとまず最初にここでデートします笑


【鎌倉幕府内での足利氏】 

足利家は鎌倉時代、栃木県足利市と愛知県西三河を所領する御家人で、正妻に北条家からもらってましたが、それほど有力な御家人ではなかったようです。 外様扱いされてきました。

また尊氏の祖父時代までは足利市を本拠としていたのが足利市の歴史的な建造物等で確実ですが、尊氏の時代になると、足利市よりも西三河を本拠としたようです。

青年期までの間、西三河で生活成長していったのではないかと推測できます。
これは後年の尊氏を支えた武将を見るとわかります。

尊氏は次男で突如家督を継ぐことになったため、幼少期から青年時代の記録が皆無です。
吉川栄治の私本太平記の小説はこのあたりは創作小説となっています。

ただ家督を継ぐことになった後、後に執権となった北条家一門の赤橋家から正妻をもらい、その後朝廷から授位されてることも含めて、短期間の間に重要視された人物であったことは分かります。 
これは足利家のそれまでの位置付けよりもかなり評価されてきたことが分かります。

執権赤橋守時(北条一門)の義弟ともなり、尊氏は幕府の中枢に入っています。後に、近畿地方の反乱軍を鎮圧するための総大将ともなっています。(2回目の派遣の際に京都で謀反を起こしましたが)

鎌倉幕府内で結構な力を持っていたことは分かりますが、それに対して、元執権の義弟なのに、赤橋家の妻すら人質として厳重に監視されていたり、幕府内では相当に警戒されていたことも分かります。


【足利尊氏が鎌倉幕府内で影響力を持っていた理由を考察】

討幕する際に尊氏の率いていた主な武将は西三河の武将です。
そのほとんどが室町時代から戦国時代には有力な守護、守護大名となっています。
例えば、斯波氏・今川氏・細川氏・一色氏・・・

ちなみに、江戸幕府末期まで永らえた大名の多くは、足利尊氏が京都に引連れた三河・尾張地方出身の豪族です。
上杉謙信の上杉氏は尊氏の母方由来。

この足利尊氏と三河武士の強い結び付きが、もしかしたら鎌倉幕府内で脅威、注目されてたのかもしれません。
ただ執権の義弟だったから・・・というだけの理由ではなさそうです。 



【丹波:篠村八幡宮】

足利尊氏は、丹場国篠村八幡宮で幕府への叛乱を宣言し、京都にあった六波羅探題を滅ぼしました。

この篠村八幡宮、戦国マニアはご存知の本能寺の変で明智光秀が重臣に謀反を宣言した場所です。

おそらくですが、明智光秀も足利尊氏の先例にあやかりたいという気持ちもあってこの場所で重臣たちに打ち明けたものと私は推測しています。偶然ではないかと。



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そういえば、この上の写真の本、本屋の店頭で一時期よく並んでました。
「本能寺の変431年目の真実」
読みましたが、自分は不完全燃焼・・・。
感想を一言で言うと「せやろか・・・」でした(笑)
おそらく戦国マニアの多くの人は物足りなかったかと。

足利尊氏の足取りはまた後日徒然と。


【雑記徒然】

2泊3日で秋川~檜原のトレッキングをしてきました。
足利尊氏が創建したとされる光厳寺を見てみたい・・・という目的からです。

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そんな大きな寺ではないですが、このあきるのの戸倉地区の景観はどこを歩いても素晴らしかったです。
朝一に行ったので里の景色は新緑・新緑・新緑・・・を満喫できました。
夕刻にもそのうちこの里を歩いてみたいな・・・と。

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秋川渓谷も新緑で紅葉並みに綺麗でした。

足利尊氏がこの地区を訪れた足取りは見当たりませんが、もしかしたら関東に地盤のあった母方上杉氏の影響もあってここに建てたのでしょうか・・・よくは知りませんが。

また徒然と。