こんばんは。

飛鳥時代から奈良時代は非常に混沌とした時代です。そして文化的にも国家的にも突然開花しその後の安定した現在にも繋がる「日本」文明が開かれます。
そしてこの時代以前から、西日本から畿内は先進的で東日本は後進的というのが従来の定説となっています。

ただ、奈良時代・平安時代の流れ、律令国家体制や制度を見て素直に判断していくと、西高東低は本当だったのだろうか?という疑問が出てきます。

話が数百年前に飛びます。
定説はないですが、私は邪馬台国は九州にあり、その国は「倭」であった。そして倭から分離したヤマトが畿内へ。またそれとはまた別の一派と出雲系が東日本に国を作ったと考えています。
元々本流であった倭、分家であったがそのうち本流よりも力をつけたヤマト。そして当初は分家だったが出雲系と連合し力をつけていった日本。

倭→九州
ヤマト(大倭)→畿内
日本→北関東・東北

根拠を何回かに分けて簡単に記事にしていきます。大半がtweetした重複になるかもしれませんが。

関東の中で、神奈川(相模)、南房総半島だけは謎が多くてどういう立ち位置だったのか?独立していたのか?本当謎です。その点も追々綴っていきます。


【方言と記紀】

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何回か掲載した日本語の方言のアクセントです。

少し歴史に興味を持っている人がこの図を見ると、これは古墳時代やそれ以前の国、そのまんま範囲図ではないか?と思う方が多いと思います。

つまり、緑は大国主由来、赤はヤマト由来、黄色は?!?まさか・・・と。

北関東と南東北の黄色は何?と考えさせられてしまいます。    

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常陸というとタケミカヅチ由来の鹿島神宮ですが、鹿島神社の分布を調べると、この方言の分布図と一致するのが非常に興味深いところです。


【鹿島神社はなぜ北関東・南東北?】

鹿島神社・香取神社が北関東、南東北に多い理由についての定説は「大和朝廷が関東・東北を平定するにあたって、この二大軍神の加護に祈祷したため多く建立された」となっています。

この方言の分布を見て素直に考えると、それは違うのではないか?と思わざるをえません。

つまり、この鹿島信仰のあった国がここに存在し、方言もそのまま残ったと考える方が自然かと思います。


【その国とは・・・】

これまで書いてきた通り、その後国号となった「日本」の由来である日高見国であり、中臣氏はその中で有力な豪族であった。と推測されます。

長くなるのでまた書きますが、7~8世紀は簒奪に近い形で、皇位継承以外の国家体制等、倭の時代の名残りが消えていきます。そして律令国家体制ではポイントポイントに関東の重要性が織り込まれていきます。

例えば、それ以前は諡号の「すめらみこと」が「天皇」に750年以降になったこと。
春日大社の創建768年。
親王任国が関東に制定されたこと826年。
等々・・・追々書いていきます。



この時代は、室町時代中期の足利一門(足利家・細川家・斯波家・山名家・鎌倉公方足利家・・・)の権力闘争、応仁の乱と似たような感じと自分はイメージしています。

また徒然と。

メモ
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645年 大化の改新(蘇我氏→中臣氏後の藤原氏)
663年 白村江の戦
672年 壬申の乱
701年 大宝律令
710年 平城京に遷都
769年 宇佐八幡神託事件
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