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織田信長と徳川家康の同盟は有名ですが、結局、織田政権の一大名化したのはいつ頃か?
この問題について、織田信長から徳川家康宛の書状の書き方から判断するという方法があるようです。

ちょうど朝倉・浅井を滅亡させた天正元年(1573年)頃から、それまでの信長から家康への「恐れながら謹んで申し上げます」といった書状の締め括りから「謹んで言います」と変化したようです。

「恐々謹言」→「謹言」

信長傘下の武将宛の書状と同じようになったこの頃、両者は対等な同盟者から天下政権(公儀)の関係となったと指摘されることがあるようです。

なるほどと。

この頃の織田政権内譜代の序列は
・林通勝
・佐久間信盛
・柴田勝家
・森可成
といった尾張時代の重臣を筆頭に、
・安藤守就
・稲葉良通
・氏家直元
といった美濃の豪族が織田政権内の核だったみたいです。

ちょうど、家康が織田政権内に取り込まれたこの頃から、近江もほぼ掌握し、明智光秀を筆頭に、羽柴秀吉…等の新興武将が近江に所領をもらって重臣の仲間入りという感じですかね・・・

本能寺の変の2年前、石山本願寺と講和し大阪から退去させた後、一気に序列が変わりますが。