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こんばんは。
最近特にリニア関係のニュースがないので私説・妄想徒然と。

元々日本史に興味を持ったきっかけは「信長の野望」とか大河ドラマ「独眼竜政宗」の影響です。
自分の世代は特に戦国時代は詳しい世代かと思います。

たまたま20年前に「室町の王権」(今谷明)や「異形の王権」(網野善彦)を読んで影響を受け、室町時代・南北朝時代に興味を持ちました。

日本史マニアの誰もがまず疑問に感じるのが定説と行動原理の謎です。

今回取り上げる徳川家康関連の定説に疑問を持つ方も多いかと思います。
有名なのが「築山殿事件」、「今川人質時代虐められてたという定説」、そして今回取り上げる「ゆかりもない日光になぜ東照宮を?」、「御三家がなぜ常陸・尾張・紀州?」という素朴な疑問です。

私説ですが、このあたりも戦場ヶ原・男体山・日光といった記紀の時代の「ヤマト(倭)vs日本(関東王権)」に由来するとすると割りと自然な流れなのかなとも妄想します。
そして江戸幕府が討幕された際の廃仏毀釈にもつながっていきます。



【日光東照宮の定説】

日光に東照宮が建てられた定説は「江戸と陰陽道といった方位」が有名な主力説です。


【私説-日光東照宮は戦場ヶ原の勝利伝承を意味する】

この私説はこれまで書いてきたように「戦場ヶ原ではヤマト王権と関東王権が戦い、関東王権が勝利した」という私説に基づくと、「日光で関八州の守り神になろう」という家康(幕府側近)の意図がすんなりと理解できるかと思います。
つまり・・・そういうことです。
二荒山神社は神話で赤城山に勝利した男体山を祭っている神社ですが、その横に作られていることからもそういった意図の裏付けが可能かと思います。

前に記事にした神道vs仏道からすると、大権現・大明神論争で天海が主張した大権現が採用されたのももしかしたらそれ絡みかもしれません。


【みざるきかざるいわざるの意味】

日光東照宮と言えば三猿というくらい有名ですが、これは何を意味するのか?と疑問でした。
これも戦場ヶ原勝利説からすると、「実は天海、幕府の朝廷に対する強烈な皮肉だったのではないか・・・」とも妄想出来ます。
これはまた後日詳細を。


【御三家の配置の謎】

御三家は常陸・尾張・紀州ですが、尾張(名古屋)は幕府を守る街道の拠点として理解できますが、なぜ水戸常陸・紀州なんだろうか・・・と考えた方も多いかと思います。

東北への守りとしてなら下野国(宇都宮)が自然だろうし、紀州??という。

これも私説・妄想ですが、実は古代、記紀の影響が実はあるのではないかと妄想してしまいます。
つまり、常陸は古代関東王朝の大本であり、紀州も記紀に由緒のある国・仏道・修験道。尾張は、戦場ヶ原で敗れたヤマト王権、草薙ぎの剣の熱田神宮。

史実の通り、水戸(常陸)は幕府初期からなくあとから追加されたものであることからすると、私説が成り立ちませんが。

これもまた後日詳細を。


【明治維新後の廃仏毀釈】

朝廷からすれば、江戸幕府の初期からのこういった京都への政治的なアピールは強烈だったのではないかと考えられます。
朝廷に仮説の通り「ヤマト王権派・論」が続いていたとすると、江戸幕府や保護していた当時の仏道、神仏習合は許しがたいものであったというのは自然な流れかと考えられます。


長くなったのでまた徒然。